3月第2週
今日の最寄の赤チャリのポートは4台。一番いいので30%。それでとりあえずいけるだろうと稼働。
跨ぎ15dまで3d。とりあえずそれをこなして考えようと。
1分もしないうちにマック。シミ+150円。
300mのショート。すぐ数珠る。ケンタ。シミ+150円。
ケンタに入った瞬間Wの依頼来るけどケンタは怖いので拒否。
1.8km。
ここから鳴らなくなる。隣駅までいってみたらタコスの店から鳴る。
配達員何人か待ってるし店内バタバタ。15分ぐらいかかりますと。
わかりましたとキャンセル。
地元の駅に帰ってきてスタバから鳴る。
1km。
ここで15d達成。
週で19700円くらいだったのであと1dしようと戻る。
すぐ鳴る。アジア料理。
待たされる。イライラしていると店員さん察したのかドア開けてくれた。
ドロップはショートで500m。
マンションで部屋番号書いてない。
メッセージ送ってもみている形跡がない。電話しても変な英語のアナウンス流れる。
10分タイマー発動。
確実に廃棄になると思ったのでなにかヒントないか探す。
オートロックないけどわりといいマンションで、郵便受けに名前が書いてある部屋が多い。注文者の名前確認して同じ名前あったので試しにいってみる。
ピンポン押して赤ちゃん抱えた住人でてくる。
「Uber頼んでますか?」
「はい・・・なんでですか?」
「部屋番号書いてないんですよ。」
「ごめんなさい。あっ名前で・・・」
ここで赤ちゃん泣いてしまったので。「ありがとうございます!大丈夫です!」
とここで終了。
そして今週の結果。
今週は今までで一番苦戦しました。
この春配達員を始めた大学生が多いんだろうなと。街並みをみていて思います。それもかなりの数で。
こういう時こそ1d1d大切にしたいと思います。
今週はこの本を読んでいました。
21世紀後半、“大災禍”と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は大規模な福祉厚生社会を築きあげていた。医療分子の発達で病気がほぼ放逐され、見せかけの優しさや倫理が横溢する“ユートピア”。そんな社会に倦んだ3人の少女は餓死することを選択した―それから13年。死ねなかった少女・霧慧トァンは、世界を襲う大混乱の陰に、ただひとり死んだはずの少女の影を見る―『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。
事故か寿命でしか死ねない世界で人間にとってなにが幸せかを考えたときに自我、意思をすてることが一番幸せになるという結論に達した死んだはずの主人公の親友はシステムの裏をつき人々の大量自殺をさせることを試みます。
何千人という人が自殺し、今度は1週間以内に1人を殺さないと自殺させると脅迫します。
捜査官である主人公は捜査を進め親友を突き止めたときに親友と対峙して時に私の心に深く残った言葉があります。
わたしがわたしであることを捨てたほうがいい。
わたしは攻殻機動隊が大好きでこんな場面があります。
人間が人間である為の部品はけして少なくない様に、自分が自分である為には、驚くほど多くのものが必要なのよ。
他人を隔てる為の顔、それと意識しない声、目覚めの時に見つめる手、幼かった時の記憶、未来の予感、それだけじゃないわ。
私の電脳がアクセス出来る膨大な情報やネットの広がり、それら全てが私の一部であり、私という意識そのものを生み出し、そして同時に私をある限界に制約し続ける
並列化された社会で個性とはなにかということを問うことを考えていました。
自分らしくとはと。
でもそれをまっとうに否定する考えにいきあたったときにぐわっと脳を揺らされました。
自分らしく生きたいけどそれでは社会はうまくいかないんじゃないかと。
ちなみに
わたしがわたしであることを捨てたほうがいい
このセリフはなぜかクルツ大佐(cv浅野まゆみ)の声で再生されます。なぜか。
今アマゾンのキンドルで半額くらいになっているので是非。
ちなみに虐殺器官も安くなっているのでこれもオススメです。